フランス東部国境地帯の要衝であり、普仏戦争でプロイセンに奪われたロレーヌの都市メス(Metz ドイツ名メッツ)を、第一次世界大戦中の1918年にフランス軍が奪回した記念のメダイユ。ブロンズを用いてアール・ヌーヴォー様式で製作された直径
45ミリメートル、厚さ 4ミリメートルという立派な工芸品で、手に取るとずしりとした重みを感じます。
表(おもて)面には、ゴシック様式の威容を誇るメス司教座聖堂サン・テティエンヌを背景に、マリアンヌに駆け寄る女性と、女性を抱きとめるマリアンヌが浮き彫りにされています。マリアンヌはフリジア帽を被り、槍と一体化したフランス国旗を左手で高く掲げ、メスを象徴する女性を右手でしっかりと抱いています。マリアンヌの足下にはプロイセンの鷲が踏みしだかれ、フリジア帽の上にはル・コック・ゴーロワ(ガリアの雄鶏)が留まって、勝利を高らかに謳っています。
マリアンヌに駆け寄る女性は、狭間(はざま)を象った冠を戴いており、メスを象徴しています。都市を女性に擬人化するのは、「都市」を表すラテン語キーウィタース
(CIVITAS)、フランス語シテ (cite) が、いずれも女性名詞であるからです。プロイセンの軛(くびき)から解放されたメスは、薄い衣をまとい、裸足で、如何にもか弱そうですが、いまはマリアンヌの腕に抱かれて、安堵と喜びを全身で表しています。この図柄を取り巻いて、次の言葉がフランス語で記されています。
en souvenir de la delivrance de Metz メスの解放を記念して
メスの足下近く、メダイユの縁に近い部分に、メス出身の高名な彫刻家エマニュエル・アノー (Emmanuel Hannaux, 1855 - 1934 註)
の署名が刻まれています。このメダイユは 1918年、アノーが63歳の頃に製作され、名匠の円熟しきった技が遺憾なく発揮されています。
メダイユの裏面にはメスの紋章と植物文をあしらい、次の言葉をフランス語で記しています。
Metz à ses libérateurs, 19, Novembre, 1918 メスから、その解放者たちへ 1918年11月19日
メダイユを取り囲むのは、トリコロールのリボンで束ねたシェーヌ(ナラ)の枝と、オリーヴの枝です。このシェーヌの束はコロナ・キーヴィカです。またオリーヴは洪水の後にノアが箱舟から放した鳩がくわえて戻って来た植物であり、平和を象徴します。
メスの紋章には蔦(ツタ)が絡みついています。蔦は常緑の植物であるゆえに永遠及び生命の象徴であり、また繋がりと依存をも表します。それゆえメスの紋章と蔦の組み合わせは、メスが母なるフランスに再び繋がり、生命を吹き込まれたことを表します。
メスはフランス、ロレーヌ地域圏の首府で、ドイツと国境を接するモーゼル県の県都でもあります。1870年から71年にかけて戦われた普仏戦争においてフランスはプロイセンに惨敗し、戦後締結されたフランクフルト条約によって、メスを含むロレーヌの一部とアルザスが、プロイセンに割譲されました。第一次世界大戦時の1918年11月にフランス軍はメスを占領し、1871年のフランクフルト条約によってプロイセンに割譲された地域は、1919年のヴェルサイユ条約によってフランスに返還されました。この結果、メスはふたたびフランスに帰属することとなって、今日に至っています。
註 エマニュエル・アノーは 1855年1月31日にメスで生まれました。パリでオーギュスト・デュモン (Augustin-Alexandre Dumont,
1801 - 1884)、トマ (Gabriel-Jules Thomas, 1824 - 1905)、及びノートル=ダム・ド・フランス(フランスの聖母)の設計者として知られるボナシユ (Jean-Marie Bienaime Bonnassieux, 1810 - 1892) に師事し、メルクリウスとバッコスとフリュネの群像を1878年のサロン展に初出展しました。1880年には放蕩息子を彫った作品でローマ賞の最終選考に残り、1900年のパリ万博でも賞を獲得しています。1903年のサロン展に出品した「詩人とシレーネー」("Le Poete et la Sirene") は名誉賞を獲得し、数多くのブロンズ像に写されました。
Emmanuelle Hanneaux, Le Poete et la Sirene, 1903, marbre, hauteur 81.3 cm
Emmanuelle Hanneaux, Le Poete et la Sirene, 1904, bronze, hauteur 97.2 cm